トランクひとつで暮らす(準備編)

片づけ・断捨離をはじめて、身軽でコンパクトな生活へ。の準備記録。

「迷い」が片づかなくても大丈夫。それでも生きていけると思ったこと。


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あることに関して何年か迷ったり悩んだりしてきた堂々巡りを、ようやく片づけました。

 

と言っても、この先も選択したことや決めたことを後悔したり困ったりすることもあるかもしれません。人生を左右するほど大きな内容の決断ではないかもしれないけれど、それでも決めてからしばらくは、本当にこれでよかったのかと気持ちがぐるぐるしてしまい、ついでにお腹もぐるぐると下したりしました。。

 

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◆迷うのは苦しいけれど、それも人生の一部と諦めればなんとかなる

数々の自己啓発本や関連サイトを見たりすると、「迷うのは時間の無駄、直感で選ぶ、どちらに決めても大きなさしつかえはない、、」といったような内容をよく見かけます。実際自分でもその通りだと思ってきたし、これからもできれば迷う・悩むという時間はできる限り減らしていきたいと思っています。

 

それでもたびたび起こったり不意にやってくる、この気の迷いやぐるぐる現象。たぶん迷いやすい体質なのだと思いますがさすがにそんな自分にうんざりしているとき、そばにあったメモ用紙になんとなく思いついた言葉を書き始めました。

 

「くよくよ」「クヨクヨ」、

「めそめそ」「メソメソ」、

「(お腹が)きゅるきゅる」「キュルキュル」、

「もんもんとする」「モンモン」、、、。

 

なぜ人は同じことを何度も考えてしまう面倒な生きものなんだろう。青少年期なら許されそうな「迷う」ということも、中年・老年になってもたいした進歩がないと憂いが増す、、そんなことを頭の片隅で考えながら思いつく言葉をつらつらと書き続けていました。いわゆる擬音語・擬態語の羅列、、。

 

すると途中から、自分の気持ちよりもその言葉自体に興味が移り始め、「くよくよ、クヨクヨ」を比較すると、なんとなくカタカナの方がかわいく感じるとか、「めそめそ、メソメソ」なら平仮名が好みとか、カタカナの「キュルキュル」はちょっと気取って見えるとか、どうでもよいその語感や形についてあれこれ考えたり。

それぞれの言葉が小さなキャラクターとなり(身長5cmくらい)、自分の机の上をぺたぺたと歩いていたらちょっと和むかも、、とか。数分の間完全におかしな妄想の世界へ。。

 

で、何が言いたいかというと。たった数分間視点がズレただけで、自分がぐるぐる考えていたことからかなり遠ざかったというか、我に返ったときには、わりとどうでもよいことのように感じられたのです。(一瞬でも、なんとでもなる迷いだと思えた)

 

お腹をぐるぐる下すほど悩んだり迷っても、わずかの間に気持ちが変わる現金な生きものなのだと再認識できたことは、ゆるい安堵感を生みました。

 

人によっては迷うこと悩むこと自体を忌み嫌い、即断即決できる人々も多いと思います。ぱっと環境を変えたり思考の切替が簡単だったり。

個人的に悩みやすいことの自覚があるので、「直感」「即断」といったことを必要以上に意識して疲れてしまうこともあります、つまりは自分の気持ちが散らかってしまい片づかない状態。

 

人としてけして効率の良い思考回路を持ち合わせていないし面倒くさいけれど、それでもたぶん生きてはいけるし大丈夫なのかもしれないと、羅列した言葉と一連の妄想を通して、そんなことを思いました。(内容の深刻度合いによるところはあるけれど)

 

人それぞれ、自分に対する様々な解決方法があると思いますが、心に浮かんだ擬音語・擬態語を書き連ねているうちに面白くばからしく感じてくれば、自分を客観的に漫画的に見られるようになっているはずなので、ひとまず気持ちのごたつきも収まりまぁいいやというかんじで。(こんな妙なことで解決を図る自分をどうかと思いますが、人に迷惑がかかるわけでもなし。ぐるぐるした視点から一歩外れたいときまたこっそり試してみようかと)

 

思考の整理や、健やかな心と身軽になれる考え方への興味は、これからも続きそうです。