トランクひとつで暮らす(準備編)

片づけ・断捨離をはじめて、身軽でコンパクトな生活へ。の準備記録。

愛着と執着の線引き、鍋を片づけつつ考えてみた。


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モノと記憶はとても連動しているなと思います。(音楽、匂いなども自分の中にある種の記憶を呼び起こしたり)

 

時々でも毎日でも目にする機会があるものは、自分でも気づかないうちにじわじわと内面に影響を及ぼしている気がします。

 

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◆日々あたりまえに使っている道具の影響力

とても気に入ったものを毎日目にすることは心地よいし、知らぬうちによい効果をもたらしてくれるけれど、それほど好みではないものが仮に毎日目にする場所にあったら、やはりそれは自覚がなくてもいつのまにか心をおびやかしているかもしれない。。

 

そういうことは片づけを通して、以前より多く意識するようになりました。

 

ときめきとか判断力とかはひとまず横に置いて。そういうこととはまた違った一筋縄ではいかない何かを、年月を重ねた「鍋」を見ながら、なぜかしみじみと考えてしまいました。日常に溶け込み当然のようにいつもあったその鍋も、きっと自分にたくさんのよい影響を与え続けてきてくれたはず。

 

長年お世話になってきた鍋を前にして、「愛着」と「執着」というふたつの言葉が何度も頭をかすめ、感情がぐるぐるして行ったり来たり。。

 

昨年の片づけ祭りで、「捨てる・残す」を選択するときめきチェックの判断力も精度も上がったはずだと思っていたし、実際楽にモノを手放せるようになってきて気持ちの折り合いもつけやすくなってきていると思っていたのに。

 

20代の頃から持ち続けてきて、焦がしたり時にがさつに扱ったりしてもけなげに働き続けてくれた鍋。すでにかなり劣化したその鍋のコロンとした佇まいになんだか気持ちがきゅんとしてしまいました。(ときめきではなく切ない方のきゅん。。)

 

ちょっとレトロなカントリー風の琺瑯鍋、買った当時は一目ぼれ。好みも変化して今の自分には合わなくなってしまったけれど、見ているとやはりかわいい鍋だなと思ったり。

 

大きさもそれなりにあるし、料理には使えなくなっても(焦げやキズで傷みも進んでしまっていたので)野菜入れなど入れ物としてかわいいかもしれない、とあれこれ使えるアイデアを思い浮かべたけれど、どこかしっくりこないことやいつまでも昔のまま使い続けることへの違和感が大きかったので、これはきっと「執着」なのかもしれないなと。

 

長年使ってきたことへの愛着、劣化がひどくもう本来の料理機能を果たせなくなってきていたのにどうにか使い続けようとしてきた執着、、。昨年の片づけ祭り最中には出なかった答えが、この鍋に関しては今が手放すそのタイミングだったようです。

  

よい時も大変な時もこの鍋でよくスープを作ったな、などと少し感傷にふけりつつも、最終的には明るい気持ちでお礼を言って手放すことができました。

 


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◆新陳代謝があってこそ身軽になれる

以前購入したのにいまいち活用しきれていなかった、まだぴかぴかのステンレス鍋。今後はこちらの出番を増やしていこうと思います。(手放した鍋とはサイズもタイプも異なり、ドイツ製らしく質実剛健といった頼もしい佇まい。こちらもとても長持ちしてくれそう)

 

大きな片づけ祭りが終わっても、今後もこんなふうにモノの新旧入れ替えは出てくるでしょう。そんな場面になるたびに、一筋縄ではいかない「愛着」と「執着」について、またあれこれ思いを巡らせることになりそうな。。

 

モノと自分の記憶に向き合うことは、うっかりするとドツボにはまって辛い気持ちになることもありますが(何度も経験済み)、客観的になれたりその都度面白い発見もあったり。

 

こうやってなんだかんだと一生、「モノと感情の片づけ」が繰り返し行われることで、人は身軽になっていけるのかも。鍋を手放しつつそんなことを思いました。