トランクひとつで暮らす(準備編)

片づけ・断捨離をはじめて、身軽でコンパクトな生活へ。の準備記録。

「思い出品」の片づけは終わっていなかった、、。実家で発掘された大量アルバムにうなだれる。


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「思い出品」の片づけはあっさり済んでよかったなぁ、と思っていたのはぬか喜びでした。先日実家から大量の写真・アルバムが出てきてしまい、かなりがっくりと肩を落としました。

 

順調にモノも減ってきて写真の類もかなり残すものを絞れていたので、不意打ちにあったような気分になり、そのうなだれ具合に我ながら苦笑いするしかありませんでした。

・「思い出品」の片づけは、予想外にあっさりと済んだ話。

 

実家というのはなぜか色々なものが出てくるようで、またいつか自分がすっかり忘れていたものや思いもよらぬものが出現するかもしれないと思うと、遠い目をしたくなります。が、その時はまた覚悟を決めて片づけるしかないのでしょう。。

 

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自分の写真・アルバムは「全捨て」と決めて作業に取りかかる

忘れ去られていた大量の家族写真は、家族全員の写真がごちゃまぜに袋や箱に詰め込まれているものや、きちんとアルバムに整理されたものなど様々。自分だけの写真ならともかく家族・親戚・各友人知人・なぜかよく知らない人の写真までと多岐に渡り、作業はほぼ丸一日かかりました。(片づけに参戦したがらない親たちもさすがに写真の片づけは本人の判断を要するので、お願いしたらわりと黙々とやってくれました。)

 

手順はこんな具合で進めました。

・ホコリをかぶった古い大量の写真たちを、作業しやすい広い場所へ全て移す。

・家族一人一人の名前を書いた空き箱を用意し、写真・アルバムの山の中身を確認しながらそれぞれの箱へ仕分けていく。

・各箱への仕分け終了後は、各自が捨てる残すの判断をして片づける。

 

この大量の写真を片づけるにあたり、自分に関する写真は「全捨て」にしようと決めていました(家族全員で写っているものは一部残されていますが)。子どもの頃や学生時代の写真も懐かしくはありましたが、家族の誰もがその存在を忘れたまま長年しまいっぱなしだったそれらは、もしそのまま一生見ることがなくてもきっと何も問題なかった、と思ったのです。(保存状態がいまいちで写真自体の劣化が多く見られたことも理由のひとつ。)

 

仕分けをしながら色々思い出したりしばし懐かしんだりしたことで自分としては充分思い出も味わい、手放すことで清々しい気持ちになれました。(写真なのでそのまま捨てることはできず書類の片づけの時と同様、はさみや手で細かくする作業が延々と続いたので、かなり手や肩が痛くなりましたが。。)

・手放したもの(捨てたもの): 5月

 

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身軽でいられるように写真も持ちすぎない

すでに片づけが終わった手持ちの写真は、今後もこれ以上増やさない予定です(増えたら何かを捨てる方向で)。紙で印刷された写真はもうわずかになっているし、パソコン内の写真も残すものを選び順次整理していく予定です。

 

考えてみれば私の場合、撮った写真を楽しむのはわりとその時だけでそれで充分満足で、あとはめったに見ることがない気がします。

 

過去のものはごくたまに思い出すくらいの、あっさりとした距離の取り方が自分にはちょうどよいと感じます。これまでの「片づけ祭り」を通して、そんな自分とモノの心地よい距離感を見つけつつあるのかな、とそんなことも感じました。

 

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思わぬところから出てきた大量写真に一時は意気消沈し、気力も体力も結構消耗する片づけとなりましたが、どうにか無事に手放すことができました。

 

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